ADHD女子(26)の記録

大学卒業後3年間高校教員をして、社会人4年目にADHDの診断を受ける!「長年の生きづらさはこれか〜」海外で働いみたり、いろんなことに手を出したり、多動・衝動性が強いタイプ🤔当事者でありながら、元教員目線でADHDの生徒対応もちらちら書いてます〜!

【第1章】001 心療内科に行った理由①

2020年8月に誕生日を迎え26歳になってから、初めて心療内科を受診した。

ADHDと診断された。

 

・・・

 

受診する前に、私はすごくネガティブになっていた。

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2020年3月末にタイから帰国したが、

海外にいたので、4月以降の再就職先を見つけられず、帰国したらしたでコロナの影響持病が4つ発覚し、実家でのんびりしていた。

 

※持病=

①月経困難症・月経前症候群

20歳の時に診断されピルを服用していたが、仕事が忙しくなり、通院が困難になったため22歳で断薬。断薬しても特に症状が出ることはなかったが、今年の1月(帰国2ヶ月前)、多忙やストレスもあってか、生理であるなしに関わらず謎のお腹激痛に悩むようになり、職員室で倒れてしまったこともあった。タイの病院ではうまくで診断されず、帰国後婦人科を受診し、診断。低容量ピル再服薬中。

 ※避妊目的でピルを飲んでるわけじゃないよ。

 ほんまにほんまに生理痛が辛いんや。最初は仕事のストレスのせいと思ったけど、帰国後フリーターになっても生理痛は続く。ピルは毎日決まった時間に飲む必要があるが、ADHDの特性のせいか飲み忘れ多発中。

 

②喘息

もともと小児喘息を患っており、完治したと思っていたが、大学生になって大人喘息発症。

その後、社会人になって症状は落ち着いていたが、帰国後環境が激変したためか、再発。

 

③橋本病(慢性甲状腺炎

甲状腺の腫れは大学生の時に一度指摘されていたが血液検査は大丈夫だった。タイにいた頃、同僚に再び甲状腺の腫れを指摘され、帰国後検診、発覚。経過観察のため今は特別な治療はしていない。

 

そのための通院と、それ以外にも7月に良性頭位めまい症を発症し短期入院副鼻腔炎発症などがあり、毎週のように婦人科・呼吸器科・内科・耳鼻科・眼科と駆け回り、まさに病気のデパート状態。

 

どうやら、ADHDの特性の一つで、「体調不良を起こしやすい」という人も一定いるよう

 

多動症・衝動性により、一気に活動してしまい、また、苦手なもの・興味ないことに対しては集中力が持続しないが、好きなことに対しては周りがドン引きするくらい病的なまでの過集中を発揮し、自分が疲れていることに気づかず、無理をしてしまうのが原因みたい。

 

こうした体調不良が重なって、働くには少し厳しい状態だった。

 

 

が、実はそれに加え、タイの職場で少し嫌な思いをしていて(※日本人の職場。ちなみに生徒や周囲のタイ人はすごくいい人ばかり。)、人と接するのが少し怖くなっていた。

その嫌な思いがフラッシュバックしたり、トラウマになり、ほぼ毎晩泣いていた。

 

もともとキャリア志向は高かったので、そんなことで働けなくなる自分も嫌だった。

 

ADHDの特性で、「忘れっぽい」というのがあるけど、悲しいことに私の場合、嫌なこと・されたことは、異様なまでに鮮明に記憶に残り続けちゃう🤔

 

(よければ、芸能人で同じく発達障害栗原類さんの記事もご参照ください。)

toyokeizai.net

 

 

そして、さらに最悪なことに、この負のループに合わせて、家族からも、日常生活で注意されることが増えた。

 

・部屋の散らかしっぱなし、作業に夢中になり時間や頼まれていたことを忘れる

・ドアの開けっ放しや服や使ったもののしまい忘れ、お皿を何度か落とし、ご飯をダメにしてしまう

・車を壁にぶつける

・出かけるといって道に迷い何時間も帰ってこれない、別の用事をしてしまう…

 

一つ一つは本当に些細なことである。本当に些細なこと。

 

だが、ほぼ毎日何かやらかしてしまう。

そしてこれらが同時期、あるいは短期間に集中的に起きてしまう。

 

特にドアの開けっ放しとお米を炊く時のお米を入れる軽量トレイ的なやつの閉め忘れは、まいっっっっっっっっっっかいで、毎日注意されていた。

 

母曰くおっちょこちょいは昔かららしいので、

注意されたと言っても笑いながら「あやちゃん、またぁ〜(笑)」って感じなのだが、

先に書いたようにネガティブモードで毎日やらかしたとなると、相当精神的に苦しくなっていた。

 

 

そんな不安定な状態なのに、トラウマを克服するためにも「働いてみよう」「社会人だから働かなきゃいけない」という変なプレッシャーと、貯金もなくなり始め通院代が少し足りなくなってきたので、7月より接客のアルバイトを始めた。

 

その結果、そのアルバイトでもミスを多発した。

 

初めてだから慣れていないというのと、

設備の問題(渡されたインカムが不良品→私だけいつも指示がうまく聞こえていなかった→先輩の言うことを聞かない→ミス増える→信頼なくす)という外的要因も大きいのだが…

 

レジ打ちで苦手な金銭のやり取りに必要以上の緊張感を持たないといけなかったことも合わせて、とにかくネガティブモードで不安が絶えず、このアルバイトは、私をより一層憂鬱にさせた。

 

注意深く動いても同じミスをしてしまい、仕事をすればするほど人に迷惑をかけ、どれだけ頑張っても、同僚や上司の信頼をなくし、職場では迷惑な存在にしかならない。だから、もう仕事はしたくない。私は社会にとってゴミだ、という思いと、

本当は社会で活躍する同世代や、仕事中のミスも受け入れ成長し続け出世していく同世代の友人たちを横目に、自分は何をしているのだろう、実家で甘えて暮らすどうしようもない社会人のゴミだ、しっかり働かないと。という思いと、

 

の葛藤で、やっぱり毎晩泣いていた。本当に毎晩泣いていた。

(葛藤というか、どちらにせよ、自分をゴミだと自己肯定感はだだ下がり笑)

 

頑張りたいのに頑張れない自分を受け入れられないし、教員時代に職場で嫌な思いをしていても一定の生徒からは慕われていたという自信が、当時では、周りからはできない奴と見られている、とプライドが傷ついていた。

 

当時お付き合いしていた人との言い合いも増え、孤独を感じて、そして、自殺相談センターに電話もした。(夜中なので通じなかったが)

 

 

今思えば、私は過去にとらわれ過ぎていた。

 

ADHDでなくともいえるが、ネガティブな時は、「明るい未来を想像すること」が大事。

 

自分が何をしたいか、何が好きか、マインドマップを書いてみて、そのためにできることをしてみるのもいいかも。

 

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 🔼マインドマップで自己分析


日にちも書き込んで、ルーズリーフマインドマップをしていき、3か月に一回、半年に一回とやってみてバインダーに挟むと、変化や「本当に自分の好きなこと」「本当は自分がしたいこと」が見えてくるかも♩

 

先生目線で言えば、実はこれ、キャリア教育でも使えます。

 

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