ADHD女子(26)の記録

大学卒業後3年間高校教員をして、社会人4年目にADHDの診断を受ける!「長年の生きづらさはこれか〜」海外で働いみたり、いろんなことに手を出したり、多動・衝動性が強いタイプ🤔当事者でありながら、元教員目線でADHDの生徒対応もちらちら書いてます〜!

【第1章】005 海外でのお仕事スタート!

あっさり初任校を辞められたのは、専任教諭や常勤講師ではない、という立場上の話もあるが、それ以上に、

海外へ行ってみたい、という衝動に駆られていたのが大きかった。

 

2校目は、海外の私立在外教育施設だった。

 在外教育施設についてはこちら参照→在外教育施設の概要:文部科学省

 

 

この勤務先を探すために、私学教員募集のページを見ていたのだが、その時に見つけたのが、この私立在外教育施設。一週間一応悩んだが、家族にも言わず、応募した。

 

 後先のことを考えるより、その時どうしても「海外で働きたい」という思いが大きくなっていた。

 

 

大学で研究していたのが東南アジア経済についてで、卒業後にこの国を一人旅行をしている。

好きなものにはとことんハマるタイプなので、この国にもちろんどハマりしていた。そこに、ここで働けるかもしれないチャンスを見つけた。

 

 

結果として衝動で応募。

 

とんとん拍子で面接、内定、と進んで、採用をいただいたが、ここは地歴公民科教員が一人担当で、3学年の日本史A・世界史A/B・政治経済・倫理・学校設定科目の全7科目を担当し、受験指導も担当だった。

 

3年目にしてこれだけの科目(うち日本史A、2学年の世界史B、倫理は初めて)を担当するというのはものすごい大変なことなのだが、それでも採用していただいた責任感で、何とかやりきった。それにやりたかった受験指導もさせてもらえた。

 

未熟な面もあったものの、最後に生徒がくれた言葉は、

「社会が好きになりました」「社会がこんなに面白いと思わなかった」

「先生に教われてよかった」「来年も持ってほしかったのに」と、泣かせてくれるものだった。

 

 

実際家では退勤後も夜中までプリント作り、そして明け方にその他業務、の繰り返しで、寝るときも参考書を抱きかかえ、休日もずーーーっとパソコンを開いていたが🤫

 

 

ただ、私はそういう好きなことを何十時間もできることが幸せだったし、そのおかげで、退職後はYouTubeInstagramで、またたくさんの人と幅広く知識を共有できるようになったと思っている。

 

 

ちなみに、YouTubeInstagramではこんなことしてるよ⬇️

 

youtu.be

 

www.instagram.com

 

 

が、バンコクのこの学校は一年で契約更新できず退職となった。理由は、「経験不足」らしい。

 

でも、先にも書いたようにこの学校では、一人担当で、教員の人数も少ない学校だったので、タスクが処理しきれず、よって注意がより散漫となり、ミスが増えた私は、最終的に何もかも信頼を失っていたのだと思う。

 

何をしても怒られていた。褒められた記憶がなくなってしまった。

 

 

ADHDの場合、ミスしてしまうのはどうしようもないので(そういう障害なので)、サポートと理解がなければ、何をやってもうまくいかないし、さっさと見切りをつけ、働くことがトラウマになってしまう前に辞めることをオススメする。

 

ADHDは決断も早いので、すぐに行動できると思う。

 

 ちなみに、

ADHDなどの発達障害を告白して働くことを「オープン就労」と言い、 告白せずに働くことを「クローズ就労」と言う。

 

私の場合、社会人になって最初の3年間は、診断せず、自分でもちゃんと把握していなかったので「クローズ就労」

 

うち、初任校の2年間は、おそらく「全然数字数えられへんやん」(不注意)「あいつ頷くときめっちゃ首振るやん。ちゃんと話聞いてんのか?」(多動)「え、そんな授業しちゃう?!」(衝動性)と、不思議に思われながらも、おそらく理解されながら、サポートしてくれる職場だったので、教員を続けられた。

 

が、繰り返しになるが、2校目の1年間は、そんな不思議が不信感へ直結し、理解が得られず、サポートもなかったので、職場がトラウマになった。

(優しく声をかけてくださった先生もいらっしゃいます。「いつも斬新なアイデアありがとうございます」と。笑)

 

 

そして、教員を辞めて、次の仕事が決まってるが、そこではもうすでにADHDであることは知らせてる。(「オープン就労」)

 

「オープン就労」「クローズ就労」どちらもメリットやデメリットがあるので、また別の記事で比較検討しようと思う。(また勤務が開始したら記事まとめるね。)

 

 

 

とはいうものの。

 

本当はめっちゃ頑張ったよね。ADHDと診断されていなくても、働く中で、自分は忘れっぽいという自覚はあったし、何度も何度も見直す。職場も家も机の上は付箋だらけで、毎日重たい荷物を持って帰って。とにかく勉強。

 

 

働きにくくて悩んでる人。頑張りたいよね。大丈夫。あなたは頑張ってるよ。

 

 

そして、だから…

 

帰国後は、理解が得にくい職場を後にしたばかりだったので、少しトラウマになってしまい、心療内科へかかることになった。

 

 

次の記事👉

第2章の更新はもう少し待ってね!

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