ADHD女子(26)の記録

大学卒業後3年間高校教員をして、社会人4年目にADHDの診断を受ける!「長年の生きづらさはこれか〜」海外で働いみたり、いろんなことに手を出したり、多動・衝動性が強いタイプ🤔当事者でありながら、元教員目線でADHDの生徒対応もちらちら書いてます〜!

【最初に】自己紹介するよ🦄【読んでね】

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  みなさんどうもこんにちは、

    はっぱいガール4点です🤗 

 

元高校教員で、今はフリーランス(正確には個人事業主)として活動しています♩

わたしの経歴

▶️中高私立女子校 出身

▶️関西学院大学経済学部

  グローバリズムによる経済格差の是非

   〜東南アジアを事例に〜 研究

▶️私立高校で2年間講師

 【地歴公民科/副担任経験・受験指導あり】

▶️タイの在外教育施設で1年間教諭

 【地歴公民科/副担任経験・受験指導あり】

▶️現在、帰国してフリーター

  実家の農業を手伝ったり、世界史・政治経済・現代社会の解説動画などをYouTube配信

▶️今後(11月〜) 報酬をいただきながらちょこちょこお仕事

  (「給料と報酬のちがい」→https://ten-navi.com/hacks/article-428-33436参照)

 

youtu.be  「はっぱい」に込められた意味 「4点」とは???  など

 

f:id:yasaiiii13:20201113140351j:plainなぜ私がブログを書き始めたのか?

 26歳の誕生日を迎えたばかりの2020年8月末、私はADHDの診断を受けました。 

日本語では、「注意欠陥多動症といって発達障害のひとつです。

 

特性かどうかはわからないのですが、脳内はいつもごちゃついてます。

ついでに部屋も机の上も、ベッドの上までごちゃついてます😭

 

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(写真は、海外で一人暮らししてた頃の部屋。)

 

そんなごちゃついた脳内を、とにかく整理したくて。

 

だから、YouTubeInstagramでは知識を整理しています。

 

そして、この発達障害については、「ブログ」にアウトプットして整理してみることにしました。

 

私のこと知ってる人は、

「え!障害者だったのか?!」ってなるかもしれませんが、急に私が変わるわけではありません。私は私やし、今まで通りの接し方で全然大丈夫です🙆‍♀️

 

「はっぱいガールはADHDだ!バイアス」みたいな色眼鏡をかけて見るんじゃなくて、「へーー!そんな人生送ってきたのか!」って、他人の自叙伝を読むみたいな感じで、のぞいていってもらったら嬉しいかな🌝

 

次の記事で、もっと具体的に【ADHDとは何か/ブログを始めた目的】を書いてみた♩

 

よければお読みください🌟

【必読】ADHDとはなにか/ブログの目的 - はっぴーがいっぱいblog💟

 

最終目標が決まりました🦄

👉詳しくはこちらをお読みください。

私の最終目標 - はっぴーがいっぱいblog💟

※別のブログになります!!新規タブで開くことをおすすめします!!

 

【番外編】パートナーから見たADHDについて!

お久しぶりです、はっぱいガール【4点】です🦄

 

今日の記事は、番外編ということで、2年ほどお付き合いしているパートナーにいろいろADHDの彼女と付き合うとは」をインタビューしようと思います!👯

 

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お付き合いして1年ほどしてから、彼女である私がADHDと発覚しました。

※発覚時の記事はこちら→

【第1章】001 心療内科に行った理由① - ADHD女子(26)の記録

 

パートナーも「世の中にADHDのことがもっと広まって欲しい」「発信することで理解が深まって、辛い思いをする人が減ってほしい」と、インタビューに積極的に応えてくれました👏感謝です!

 

では、さっそく聞いてみよ~~~🐰🌟

 

 *.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....*.....*.....*.....*.....*.....*

Q)彼女がADHDとわかったときの心境は?

ネガティブな感情はなかった。

逆に、今までのケンカや彼女の不注意、感情的になることの原因のひとつだとわかってよかったと思った!

電話をくれたときのことはすごく覚えていて、泣いてたし本人にとっては辛いんやろうけど、自分はわかってよかったという気持ちのほうが大きかった。

診断がおりてからは、より相手の理解が深まったし、お互いのパーソナリティについていろんな話ができるようになった。

 

ちなみに、本人は診断後、自分がそうだと予想はついていたものの、やっぱりお医者さんに言われると少しショックで、病院からの帰り道パートナーに電話で報告した時に思わず泣いてしまったのでした。

 

Q)彼女がADHDで大変なことは?

感情の浮き沈みが激しいこと。(双極性障害も併発しているため?)

だからよく喧嘩する。彼女は癇癪を起こすし、手がつけられない。

 

Q)他は?

あるよ、いっぱい(笑)

人の話を聞いていない…

いや、聞いてないのではないと思うけど、話があっちこっちすぐ飛ぶ。

なにかに集中してるときは、話しかけれない。

 

Q)話しかけたらどうなる?

聞いてないか不機嫌になる(笑)

 

ほかにもあるよ。

興味ないことには共感してくれない。

自分は興味が広いというのもあるかもしれないけど、結構彼女の興味ないことにも話は聞くのに、自分が話したときには「あ、そう」って感じで流されて悲しい。

 

例えば、旅行行って感動した話をしても、「あっそ」って流されて悲しい。

普通恋人が感動した話って「え、それで!?」ってなるもんじゃないですか??(笑)

自分の世界はいってるんやろうね(笑)

 

 

今まではこういうことがあってもADHDと知らなかったけど、

診断がおりてからは「あ、これもADHDの症状か」っと納得できたから良かった。

 

Q)逆に(彼女がADHDで)良かったことは?

良かったこともいっぱいあるよ!

 

まず、一緒にいて飽きない。一緒にいると必ずなにか事件が起きるから、退屈しない(笑)

というか、退屈したいときも退屈させてくれないくらい事件を起こす(笑)

だから楽しい。

 

Q)例えばどんな事件?

MacBookにホットティーこぼすとか(笑)

 

 なにもないところでコケて大量出血(※当時25歳)とか、新宿駅の階段で大勢の前で上から下に落ちて「ぐねったぁぁぁあああ」と叫ぶ。(※当時26歳)

 

良かったことに話を戻して

自分が結構優柔不断なのに対して、彼女はなんでもパッパッパと決めるから、バランス取れてるかも。

 

あとは、行動力があるから、自分ひとりならやらんこととかをあっさりやっちゃって、自分だけでは経験しないことを出来る。

新しいこともすぐ挑戦したりするから、刺激をもらえる。

 

一緒に勉強したり、作業するとき隣でずっと集中してるから、負けたくないなって思えて自分も勉強に励める。

 

良いところも実は多いんやで😊

刺激的なのはいいこと!!!!(ちょっと強いけど(笑))

 

あと、めっちゃズバズバズバーーーーーーーっと自分の弱点を言ってくるから、それが結構的確でうざいけど、言語化してくれることによって確かになぁってなる。

 

他にも、こういうのもなかなかできることじゃないよ。

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※世界史YouTuberとして有名なムンディ先生の新刊出版のお手伝いをさせていただき、特別協力として名前を載せていただいています👀🌏

 

 

ちゃっかり宣伝してるなぁ~(笑)

 

Q)別れたいと思うことはない?

彼女の感情がアップダウンしてるときは、それに飲まれそうになる。

今まで人前で大泣きしたりとか大声出したりとか、感情をむき出しにしたことはなかったのに、彼女といて彼女が「別れたい!」って泣き叫んでる状態だと、つられて自分もそうなってしまって、もういっぱいいっぱいなってしまう。(別れたいとはちょっと違うかも?)

でも、冷静になったら、自分取り戻して、「あ、今あかん時やったな。何を言ってもあかんときや」って自分に言い聞かせる。だから、別れたいとはならない。

 

Q)彼女が手を付けられなくなったときの対処法は?

・・・・・・・・・・・・慣れかな。

最初は頭にくる。アレを相手にしてたら、たぶん人間誰しも(笑)

でも、繰り返して、だんだん慣れてくると、自分が興奮状態にあっても、頭の片隅に「これは本音じゃないな」「今、感情をコントロールできてないんだな」ってのがわかってくる。

そうすると、心の余裕ができて、冷静に対処できるようになる。

 

Q)それで彼女は落ち着く?

落ち着かないときは、待つ。時間を置く。

 

Q)どのくらい待つ?

場合による。辛抱強く待つ。

 

待ち方は、誰も責めない。相手も自分も許してあげる。

 

ADHDの人ももちろん困ってるだろうけど、ADHDの人やパートナー、家族もしんどいはずで、その周りの人もこのことを知ってもらって、ちょっとでも楽になってもらえたらなぁ、と思います。

 

Q)カサンドラ症候群って知ってる?

知らない。

 

カサンドラ症候群とは
発達障害の一つである)アスペルガー症候群(ASD)がある人とのコミュニケーションがうまくいかないことによって、 家族や友人など、アスペルガー症候群の人の身近にいる人に心身の不調が生じる二次障害のことです。 特に妻や夫といったパートナーに起こる場合が多いと言われています。 対人での関係性による障害であることから、状態として捉えられることもあります。 (中略) ※アスペルガー症候群(ASD)は、アスペルガー症候群には3つの症状があります。「コミュニケーションの問題」「対人関係の問題」「限定された物事へのこだわり、興味」の3つです。(中略)うまくコミュニケーションが築けないことに自信をなくしてしまったり、周囲に相談しても理解をしてもらえないため、孤独感を感じてしまう場合があります。
引用

カサンドラ症候群とは?アスペルガー症候群の家族がいる人が注意したい症状・対処法まとめ【LITALICO発達ナビ】

 

※「カサンドラ症候群」は、アスペルガー症候群(ASD)に対する差別・偏見に基づく捉え方が出来るため、使用には注意が必要

 
あ~なるほど。
あらゆる病気のパートナーに有り得る話だと思う。発達障害に限らず。
 
Q)ADHDのパートナーでもカサンドラ症候群のような症状になって悩んでる人がいるみたいやけど、どう?
うつまではいかないけど、今までの人生の中で一番感情の起伏が激しくなったのは間違いないかも。
 
だから、前までは、本人だけケアしたらいいと思ってたけど、当事者になってみて、その周りも苦しんでることがあると学べた。
 
 *.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*....*.....*.....*.....*.....*.....*
というところで!インタビューを終わりたいと思います🎤
 
そういう意味でも、お互いが過ごしやすいように、もっと理解が広まってほしくて、そのためにも、今後私達当事者からまだまだ発信していきたいと思います😊
 
感想やご質問がある方はぜひぜひコメントください!

【第1章】005 海外でのお仕事スタート!

あっさり初任校を辞められたのは、専任教諭や常勤講師ではない、という立場上の話もあるが、それ以上に、

海外へ行ってみたい、という衝動に駆られていたのが大きかった。

 

2校目は、海外の私立在外教育施設だった。

 在外教育施設についてはこちら参照→在外教育施設の概要:文部科学省

 

 

この勤務先を探すために、私学教員募集のページを見ていたのだが、その時に見つけたのが、この私立在外教育施設。一週間一応悩んだが、家族にも言わず、応募した。

 

 後先のことを考えるより、その時どうしても「海外で働きたい」という思いが大きくなっていた。

 

 

大学で研究していたのが東南アジア経済についてで、卒業後にこの国を一人旅行をしている。

好きなものにはとことんハマるタイプなので、この国にもちろんどハマりしていた。そこに、ここで働けるかもしれないチャンスを見つけた。

 

 

結果として衝動で応募。

 

とんとん拍子で面接、内定、と進んで、採用をいただいたが、ここは地歴公民科教員が一人担当で、3学年の日本史A・世界史A/B・政治経済・倫理・学校設定科目の全7科目を担当し、受験指導も担当だった。

 

3年目にしてこれだけの科目(うち日本史A、2学年の世界史B、倫理は初めて)を担当するというのはものすごい大変なことなのだが、それでも採用していただいた責任感で、何とかやりきった。それにやりたかった受験指導もさせてもらえた。

 

未熟な面もあったものの、最後に生徒がくれた言葉は、

「社会が好きになりました」「社会がこんなに面白いと思わなかった」

「先生に教われてよかった」「来年も持ってほしかったのに」と、泣かせてくれるものだった。

 

 

実際家では退勤後も夜中までプリント作り、そして明け方にその他業務、の繰り返しで、寝るときも参考書を抱きかかえ、休日もずーーーっとパソコンを開いていたが🤫

 

 

ただ、私はそういう好きなことを何十時間もできることが幸せだったし、そのおかげで、退職後はYouTubeInstagramで、またたくさんの人と幅広く知識を共有できるようになったと思っている。

 

 

ちなみに、YouTubeInstagramではこんなことしてるよ⬇️

 

youtu.be

 

www.instagram.com

 

 

が、バンコクのこの学校は一年で契約更新できず退職となった。理由は、「経験不足」らしい。

 

でも、先にも書いたようにこの学校では、一人担当で、教員の人数も少ない学校だったので、タスクが処理しきれず、よって注意がより散漫となり、ミスが増えた私は、最終的に何もかも信頼を失っていたのだと思う。

 

何をしても怒られていた。褒められた記憶がなくなってしまった。

 

 

ADHDの場合、ミスしてしまうのはどうしようもないので(そういう障害なので)、サポートと理解がなければ、何をやってもうまくいかないし、さっさと見切りをつけ、働くことがトラウマになってしまう前に辞めることをオススメする。

 

ADHDは決断も早いので、すぐに行動できると思う。

 

 ちなみに、

ADHDなどの発達障害を告白して働くことを「オープン就労」と言い、 告白せずに働くことを「クローズ就労」と言う。

 

私の場合、社会人になって最初の3年間は、診断せず、自分でもちゃんと把握していなかったので「クローズ就労」

 

うち、初任校の2年間は、おそらく「全然数字数えられへんやん」(不注意)「あいつ頷くときめっちゃ首振るやん。ちゃんと話聞いてんのか?」(多動)「え、そんな授業しちゃう?!」(衝動性)と、不思議に思われながらも、おそらく理解されながら、サポートしてくれる職場だったので、教員を続けられた。

 

が、繰り返しになるが、2校目の1年間は、そんな不思議が不信感へ直結し、理解が得られず、サポートもなかったので、職場がトラウマになった。

(優しく声をかけてくださった先生もいらっしゃいます。「いつも斬新なアイデアありがとうございます」と。笑)

 

 

そして、教員を辞めて、次の仕事が決まってるが、そこではもうすでにADHDであることは知らせてる。(「オープン就労」)

 

「オープン就労」「クローズ就労」どちらもメリットやデメリットがあるので、また別の記事で比較検討しようと思う。(また勤務が開始したら記事まとめるね。)

 

 

 

とはいうものの。

 

本当はめっちゃ頑張ったよね。ADHDと診断されていなくても、働く中で、自分は忘れっぽいという自覚はあったし、何度も何度も見直す。職場も家も机の上は付箋だらけで、毎日重たい荷物を持って帰って。とにかく勉強。

 

 

働きにくくて悩んでる人。頑張りたいよね。大丈夫。あなたは頑張ってるよ。

 

 

そして、だから…

 

帰国後は、理解が得にくい職場を後にしたばかりだったので、少しトラウマになってしまい、心療内科へかかることになった。

 

 

次の記事👉

第2章の更新はもう少し待ってね!

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【第1章】004 高校の先生になった!

それから、私は晴れて学校の先生になった。

 

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 大学卒業後の最初の2年間は、とある私立高校の特任講師で、授業と副担業務を担当。

勤務時間は基本は授業の時だけでいいので、3時間目から出勤したり、午前だけで帰ることもあったが、副担任も業務だったので、担任の先生が半日休暇の日は、朝一から行ったり最後まで残ったりもしていた。

あとは、授業以外に、担任のお仕事もちょこっとお手伝いして、行事ごとにも仕事が割り振られ、宿泊研修の引率や、実習先訪問の出張、毎週会議にも出席していた。

 

教員する中で、私は、数を数えたり、四則計算、時間を把握すること・慣れないスケジュール対応が苦手だと痛感した。

 

いや、昔から算数は苦手だったのだが、大人になっても改善しないので、もしかしたら、学習障害(LD)もあるかもしれない。(これは未診断)

 

学習障害(LD)も発達障害の一種です。詳しくは下記参照)

h-navi.jp

 

※余談 「勉強が苦手だったけど先生になった!」という趣旨ですが、「偽善者先生」というYouTuberの方の動画で、「算数苦手だった話」を少しお話しさせていただいてます。

youtu.be

 

 

教員をしていて、一番困ったのはテストの時で、まずいつもと違う時間割なので、スケジュールが変わり、出勤時間・行くクラスを間違えないかで、生徒以上に緊張していた。

 

そしてテスト準備段階では、何ページまでを何クラス分刷ったのかわからなくなり、何度も一から数えることがあって、ついには科目横並びの他の先生が配慮して、単純な作業しか任せないようにしてくれた。

 

そしてテストが終わると採点である。

苦手な足し算引き算掛け算に、丸が何個か数える作業である。

両手の指を駆使しまくったり、電卓を弾いても、必ずミスがあるので、三重チェックをして返却していた。

 

そして息つく間もなく成績処理だが、これも数字がつきまとう作業でミスが多かった。

(もちろん生徒に渡す前にちゃんと訂正する。一発ではうまくいかないなぁ、という話。)

 

 

それ以外にも、他の行事などイレギュラーな日は特に気を遣った。

 

10年以上乗りなれた阪急電車での通勤でさえ、普段の日から、なぜか線を乗り間違えてしまったり、降りる駅を間違えたりすることがしょっちゅうだったので、イレギュラーな日の前日はミスをしないか心配で、夜は眠れないことが多かった。そして超早起き…

 

(そうはしていても、反対方向の電車に乗ってしまうことがあった。

朝はミスすることを見越して、集合時間の30分前には着くよう出発することで対処。

 

 

これだけでも、本当に周りの先生方に迷惑をかけてしまったと反省している。

 

だけど、最初の勤務校は、周りの先生が言わずともサポートをたくさんしてくれ、私のできることは120%任せてくれ、信頼してくれていたと思う。

 

 

サポートと理解があれば、「ADHD」だって、十分働けます。

 

 

また、好きなことには異常なまでに執着するのも「ADHD」の特性。

 

この特性のおかげで、勉強が好きな私は「好き=仕事」にできた。

 

2年目は、特進クラスの先生方に「勉強熱心な新卒」ということで目にとめていただいて、はじめて受験指導を担当させていただいた。

 

 

ただそれ以降は、専任・常勤という立場でない以上、必要最低限の受験指導ができなかったので退職し、もっと本格的に受験指導できる学校を求めて、3年目は別の学校へ移ることにした。

 

 

そして見つけたのが、海外の学校だった。

 

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【第1章】003 幼少期〜高校生までの話

思い返せば、多動と言っても、授業中立ち歩いたり、じっと座っていられないということはなかった

 

ただ、発言は多いタイプだった。

それは、当てられた時だけじゃない。当てられていないのに一人で喋っていた。

 

すぐに思ったことを口に出す。

そのせいで、周りに合わせたり空気を読んだ発言は皆無に近かったと思う。

 

他にも…

 

生傷が絶えない

とにかくどこでも転び、一輪車や自転車もよく転けた。動き回るし無茶して高いところから飛ぶ。思い立ったら動かずにはいられない。うちには、弟妹は使ったことがない、私用の大きな絆創膏が常備されていた。

 

なくし物が多い

どこにしまったか忘れてすぐに新しいものを買ってもらっていた。

 

テレビを見るのが苦手。切り替えの多いコント番組はまだ見れる

決まった時間に習慣して何かをするのができなくて、スケジュール管理ができず、忘れっぽい。また飽きっぽいので途中で見なくなってしまう。

 

計画立てて行うのが苦手

 普段の宿題はちゃんとするのに、夏休みの宿題だけはいつも提出日が間に合わなかった。

 

ただし、プリント整理はできていた。

母がちゃんとファイルをたくさん用意してくれていたから。「ここにしまう」というルーティンがあれば、逆にこだわりが強いので、できてしまう。

(私がYouTubeInstagram、このブログで、脳内の知識や経験を、振り分け、整理しているのもこの原理。)

 

先生方や親御さん、もし子供や生徒がすぐにプリントをなくす、というのであれば、怒っておしまい、ではなく、一緒にファイル分けを手伝ってあげてください。

「算数のプリントはこのファイル」「お家の人に渡すプリントはこのファイル」と決めてあげると、案外うまくいく場合があり、おすすめです😊

 

最近の学校は、結構プリント授業が多いので、大人が思っている以上に生徒は大量のプリントを管理しなければなりません。

 

 

 最後に。

こうした特性に基づく私の武勇伝をいくつかご紹介したい。

 

【 中学時代 】

・イライラが抑えられず、木の教卓を足で蹴って、穴を開けた。(なぜか、怒られはしなかった。)→衝動性

 

・家でもすごくムカついて、壁を蹴ったら、穴が開いた。妹が必死に隠してくれた。(そのあと両親にはバレたけど。)→衝動性

 

友達には結構思ったことを後先考えず、すぐに口にしてしまっていた。→衝動性

人に合わせるのがすごく苦手で、突拍子も無いことをすぐ言っていた。

 

変わってる」「変人」とよく言われ、クラスでは浮いていた。発達障害そのもの?

人と違う選択、それも多くの人が選ばない選択をしたかったし、してしまっていた。衝動的に目立ちたいと思うことがあって、静かな教室で、「あ!!!」と叫んだことがある。特進クラスで。みんな驚くより、引いていた。

       

 【 高校時代 】

・夏休み明けの久しぶりの部活(女バスのマネージャー)で、体育館が久しぶりに使えるから、すごくテンションが上がって、私は階段を飛んだ。始業式が終わりホームルームで、「夏休み中誰も大きな怪我もなく無事2学期を迎えられてよかったです」と担任が言った15分後の出来事。

思わず10数段跳びをして、着地失敗し立ち上がれず保健室へ。

その後、両親が車で迎えに来て、病院に行き、足首の靭帯を損傷していることがわかった。

→多動・衝動性

 

 

「どうしてあなたは、そんなに怪我が多いの」

「どうしてあなたは、そんなに物を壊すの」

「どうしてそんなにすぐ物をなくすの」

「どうして片付けられないの」

「どうして時間が守れないの」

「同じように育てたのにどうしてあなただけできないの」

 

 

「…わざとじゃない。」

 

どうして、と聞かれたってできないものはできない。

相当注意するし、努力するし、気をつけるし、相当相当頑張っている。

 

それでもできないのだ。

 

理由はわからない。でも周りはもっとわからなかったのだと思う。

 

衝動性を抑えるために、よく、「ワンテンポ・一呼吸おきなさい」と言われるが、 思わず行動しちゃう時って、脳が激しく興奮してて、アドレナリンがもう出まくってるって感覚。止められない。気づいたらやっちゃってる。

 

何度言われたって冷静になれないのです😔

 

これはまるで「お前!!ウサギになれ!」って言われているくらいの無理難題 😔

 

 

なお。幼少期〜高校時代までなら 「おっちょこちょい」でもしかしたら許されるかもでも、社会人になってもこれだから、結構イタイ。

 【社会人になってから】

ベッドの上を歩いて落ちてスネを怪我をした。今も傷は残ってる。→注意欠陥

・家の階段を登るとき、うまく登り切らず落ちた→注意欠陥

・雨のあとのフェンスを越えようとして、ずり落ちて打ち身した→衝動性

・(あまり大きな声では言えないけど、家族と喧嘩し、「あなたが車の運転するの心配」と言われすぎて、免許証をハサミで切った。そもそも、この免許証、筆記試験5回落ちた末にとったのに…。→衝動性

 

細かい文房具やアクセサリー類は多分数十個となくしてきたし、鍵、クレジットカード、キャッシュカード、時計、携帯電話でさえなくす。→注意欠陥

そういえば、タイでもタクシーに3度も携帯を置き忘れました。でも、奇跡的に、取り返した。強運🤗

 

季節をまたいで、ズボンのポッケから鍵やらヘアゴムやら、飴やらハンカチが出てくることも数回あった。

 

 確かに生きづらさはあるけど、どちらかというと自分が損するような失敗の方が多いと思う🤔

 

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【第1章】002 心療内科に行った理由② (大学時代の話)

そうして、不安が増えすぎるので自殺防止センターに電話するのではなく、心療内科に電話し、予約して、受診するに至った。

 

そして、予約してから、落ち着いた時に、実は、私が些細なミスが多いのは「ADHD」のせいではないか、と思い当たった。

 

 ◆

振り返れば。

大学生の時に、初めて自分が「ADHDかも」と思ったことがあった。

 

きっかけは・・・

教職関係のワークショップで、

「特別支援が必要な生徒、ADHDの生徒はこんな特徴があります」

というチェックリストを配られた。

 

見てみたら、そのほとんどが自分に当てはまった。

 

 

 -あれ、私は実は支援が必要だったのかな。

 

 -そんな奴が先生を目指していいのかな。 

 

 

そのチェックリストで自覚しかけ、心療内科で診てもらおうと思った。

 

 

ところが。

「あの…予約したいんですけど…。」緊張して電話した電話越しに、

 

「…しばらく予約でいっぱいです。」と返されると、もうそれ以上先には進めなかった。

 

 

勇気を出して電話した1回目はそんな感じで頓挫してしまったが、そこからいろいろ考え、調べていくうちに、大学生の間は、ミスが多いと言っても自分が困るだけで、むしろ、ADHDについて調べるといい点もたくさんあったので、これも一つの私の個性だと思えるようになった。

 

※いい点・・・私の場合は・・・

 

①衝動性 →その日の高まった感情で決心したことは、100パーセント実行できる。

ラーメン屋にお昼を食べに行ったら店員が元気なかった。せっかく美味しいのにもったいないと思ったその2週間後にはラーメン屋でアルバイトしていた。SNSでお客さんの間で評判なくらいには元気のいい接客ができた。

 

②多動性 →とにかくおしゃべり好きで、動き出したら止まらない。

所属していたオープンキャンパスの企画・実行を行う大学公認の学生サークルでは、毎回のオープンキャンパスで高校生の相談コーナーでひっきりなしに対応した。

大学に見学した高校生の団体への学生講演も何度もさせていただき、同期から信頼を得た。

 

他にも、

好きなことは寝食を忘れて没頭できるので、趣味の書道は、10時間ぶっ通しで書き続けた作品が、賞をとった。

  

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大学2年、3年次の作品。小筆で700、500字程ずつ書道。

ポーズは… きっとにこちゃんにハマってたのだろう…

 

・大学の授業のうち、1年生の間は、興味のなかった基礎科目は単位を落としまくってどうしようもなかった。再履・再再履祭りで、周り(後輩含)からは「留年リーチ」と呼ばれていた。

が、実は、3年次以降の専門科目や院生向けの科目はめちゃくちゃ面白くて夢中で勉強した。4年春・秋学期も相変わらずフルコマだったが、テスト範囲となったレジュメは全て丸暗記し、テストは90点以上を連発した。

 

など、好きなものはとことん集中する「過集中」を発揮した。

 

(実際はいい成績を残すというというメリットだけでなく、その集中力に体が追いついていないので、翌日にはどっと疲れ体調を崩してしまいやすいっていうデメリットにもなっちゃうけど。)

 

 

 

そしてある時、私は、 周りの教職を目指している友達に「私、ADHDかもしれへん」と打ち明けてみた。

 

すると、「うん、でしょうね」と返ってきた。私は予想外な答えにめっちゃくちゃびっくりした。

 

ADHDは自分で気づくより、周りが「あれ?」と思って気づくパターンも少なくないらしい。

(診断がくだってから今も、「え?ADHDやったん?」と、驚かれたことはない。みんな納得してる🤔笑) 

 

そしてその友人は、さらに続けた。

 「まぁ、教員向いてないやろうなぁ。」 と。

 

今度は、めっちゃくちゃショックだった。

けどそのあとに、

 

「でも、それは君が頑張りすぎるからや。一人で抱え込もうとするし、いろんなものに手を出すし、やりだしたら止まらへんやろ?

教員は、全部やりすぎたらいっぱいいっぱいになってしんどくなる。続けられへんくなる。

でも、それが君のええところでもある。なんでもやったらいいと思うで。で、辛くなったら俺らがおるやん。大阪やろ?いつでも呼べばいい。」

 

と。

 

思い出補正入ってだいぶ美化しちゃったかもしれないけど、こんな優しい言葉をかけてくれた。

 

だから、この言葉を信じて、私はそれでも一層一念発起して教員目指そうと思った。

そして、同じように悩む子がいたら、すっごいいっぱい共感してやろう、と決めて教員を目指した。

 

 

前向きに捉えられたし、この頃は「ミスをして周りに迷惑をかける」より「ミスをして自分に迷惑がかかる」ことの方が多かったので、気にせず、大学生の間は、心療内科に行くことはなく、教育実習・就職活動を無事済ませ、大学を卒業した。

 

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【第1章】ADHD発覚まで  - はっぴーがいっぱいblog💟

 

 

【第1章】001 心療内科に行った理由①

2020年8月に誕生日を迎え26歳になってから、初めて心療内科を受診した。

ADHDと診断された。

 

・・・

 

受診する前に、私はすごくネガティブになっていた。

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2020年3月末にタイから帰国したが、

海外にいたので、4月以降の再就職先を見つけられず、帰国したらしたでコロナの影響持病が4つ発覚し、実家でのんびりしていた。

 

※持病=

①月経困難症・月経前症候群

20歳の時に診断されピルを服用していたが、仕事が忙しくなり、通院が困難になったため22歳で断薬。断薬しても特に症状が出ることはなかったが、今年の1月(帰国2ヶ月前)、多忙やストレスもあってか、生理であるなしに関わらず謎のお腹激痛に悩むようになり、職員室で倒れてしまったこともあった。タイの病院ではうまくで診断されず、帰国後婦人科を受診し、診断。低容量ピル再服薬中。

 ※避妊目的でピルを飲んでるわけじゃないよ。

 ほんまにほんまに生理痛が辛いんや。最初は仕事のストレスのせいと思ったけど、帰国後フリーターになっても生理痛は続く。ピルは毎日決まった時間に飲む必要があるが、ADHDの特性のせいか飲み忘れ多発中。

 

②喘息

もともと小児喘息を患っており、完治したと思っていたが、大学生になって大人喘息発症。

その後、社会人になって症状は落ち着いていたが、帰国後環境が激変したためか、再発。

 

③橋本病(慢性甲状腺炎

甲状腺の腫れは大学生の時に一度指摘されていたが血液検査は大丈夫だった。タイにいた頃、同僚に再び甲状腺の腫れを指摘され、帰国後検診、発覚。経過観察のため今は特別な治療はしていない。

 

そのための通院と、それ以外にも7月に良性頭位めまい症を発症し短期入院副鼻腔炎発症などがあり、毎週のように婦人科・呼吸器科・内科・耳鼻科・眼科と駆け回り、まさに病気のデパート状態。

 

どうやら、ADHDの特性の一つで、「体調不良を起こしやすい」という人も一定いるよう

 

多動症・衝動性により、一気に活動してしまい、また、苦手なもの・興味ないことに対しては集中力が持続しないが、好きなことに対しては周りがドン引きするくらい病的なまでの過集中を発揮し、自分が疲れていることに気づかず、無理をしてしまうのが原因みたい。

 

こうした体調不良が重なって、働くには少し厳しい状態だった。

 

 

が、実はそれに加え、タイの職場で少し嫌な思いをしていて(※日本人の職場。ちなみに生徒や周囲のタイ人はすごくいい人ばかり。)、人と接するのが少し怖くなっていた。

その嫌な思いがフラッシュバックしたり、トラウマになり、ほぼ毎晩泣いていた。

 

もともとキャリア志向は高かったので、そんなことで働けなくなる自分も嫌だった。

 

ADHDの特性で、「忘れっぽい」というのがあるけど、悲しいことに私の場合、嫌なこと・されたことは、異様なまでに鮮明に記憶に残り続けちゃう🤔

 

(よければ、芸能人で同じく発達障害栗原類さんの記事もご参照ください。)

toyokeizai.net

 

 

そして、さらに最悪なことに、この負のループに合わせて、家族からも、日常生活で注意されることが増えた。

 

・部屋の散らかしっぱなし、作業に夢中になり時間や頼まれていたことを忘れる

・ドアの開けっ放しや服や使ったもののしまい忘れ、お皿を何度か落とし、ご飯をダメにしてしまう

・車を壁にぶつける

・出かけるといって道に迷い何時間も帰ってこれない、別の用事をしてしまう…

 

一つ一つは本当に些細なことである。本当に些細なこと。

 

だが、ほぼ毎日何かやらかしてしまう。

そしてこれらが同時期、あるいは短期間に集中的に起きてしまう。

 

特にドアの開けっ放しとお米を炊く時のお米を入れる軽量トレイ的なやつの閉め忘れは、まいっっっっっっっっっっかいで、毎日注意されていた。

 

母曰くおっちょこちょいは昔かららしいので、

注意されたと言っても笑いながら「あやちゃん、またぁ〜(笑)」って感じなのだが、

先に書いたようにネガティブモードで毎日やらかしたとなると、相当精神的に苦しくなっていた。

 

 

そんな不安定な状態なのに、トラウマを克服するためにも「働いてみよう」「社会人だから働かなきゃいけない」という変なプレッシャーと、貯金もなくなり始め通院代が少し足りなくなってきたので、7月より接客のアルバイトを始めた。

 

その結果、そのアルバイトでもミスを多発した。

 

初めてだから慣れていないというのと、

設備の問題(渡されたインカムが不良品→私だけいつも指示がうまく聞こえていなかった→先輩の言うことを聞かない→ミス増える→信頼なくす)という外的要因も大きいのだが…

 

レジ打ちで苦手な金銭のやり取りに必要以上の緊張感を持たないといけなかったことも合わせて、とにかくネガティブモードで不安が絶えず、このアルバイトは、私をより一層憂鬱にさせた。

 

注意深く動いても同じミスをしてしまい、仕事をすればするほど人に迷惑をかけ、どれだけ頑張っても、同僚や上司の信頼をなくし、職場では迷惑な存在にしかならない。だから、もう仕事はしたくない。私は社会にとってゴミだ、という思いと、

本当は社会で活躍する同世代や、仕事中のミスも受け入れ成長し続け出世していく同世代の友人たちを横目に、自分は何をしているのだろう、実家で甘えて暮らすどうしようもない社会人のゴミだ、しっかり働かないと。という思いと、

 

の葛藤で、やっぱり毎晩泣いていた。本当に毎晩泣いていた。

(葛藤というか、どちらにせよ、自分をゴミだと自己肯定感はだだ下がり笑)

 

頑張りたいのに頑張れない自分を受け入れられないし、教員時代に職場で嫌な思いをしていても一定の生徒からは慕われていたという自信が、当時では、周りからはできない奴と見られている、とプライドが傷ついていた。

 

当時お付き合いしていた人との言い合いも増え、孤独を感じて、そして、自殺相談センターに電話もした。(夜中なので通じなかったが)

 

 

今思えば、私は過去にとらわれ過ぎていた。

 

ADHDでなくともいえるが、ネガティブな時は、「明るい未来を想像すること」が大事。

 

自分が何をしたいか、何が好きか、マインドマップを書いてみて、そのためにできることをしてみるのもいいかも。

 

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 🔼マインドマップで自己分析


日にちも書き込んで、ルーズリーフマインドマップをしていき、3か月に一回、半年に一回とやってみてバインダーに挟むと、変化や「本当に自分の好きなこと」「本当は自分がしたいこと」が見えてくるかも♩

 

先生目線で言えば、実はこれ、キャリア教育でも使えます。

 

次の記事👉

002 心療内科に行った理由② - はっぴーがいっぱいblog💟

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はじめに🦄  - はっぴーがいっぱいblog💟

【第1章】ADHD発覚まで  - はっぴーがいっぱいblog💟

 

 

【必読】ADHDとは?/ブログの目的

2020年8月、誕生日を迎えて26歳になってから、初めて心療内科を受診した。 

ADHDと診断された。

 

よければ、 まずはこちらもお読みください🙇‍♀️

自己紹介はこちら(前回の記事) - はっぴーがいっぱいblog💟  

 

この記事は少し長めです!こんな感じで構成しております。

 

ADHDとは何か

Attention-Defict / Htperactivity Disorder の略で、「注意欠陥・多動症のこと。

不注意や多動性、衝動性を特徴とする発達障害である。

 

(※ 発達障害には、ADHD以外にも、ASD 自閉スペクトラム症アスペルガー症候群)やLD学習障害)、チック症、吃音症などがある。)

 

不注意:集中して話が聞けない、金銭の管理ができない、忘れっぽい など

多動性:よく喋る、体の一部を動かす など

衝動性:思いつきをすぐ言動にうつす など

 

これらの3つの特性が一気にすべて認められる場合もあれば、一部がより強く認められる場合もあり、一言に「ADHD」といっても個人差がある。

 

(ちなみに私は、すべてが当てはまります。でも特には多動性・衝動性が強いかな?)

 

また、これらの特性による症状は、一般的に誰にでも見られるもの。

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 🔼私が実際に診断された時にいただいたリーフレットを参考に、ADHDに見られる症状の一部をまとめた表。●印がついてるものが実際に私が当てはまる症状。

(日本イーライリリー株式会社が作成した「大人の発達障害ご存知ですか?」)

 

表が見にくいと思うので… 例えば。

「会議中・仕事中に落ち着かずそわそわしてしまう」

「家事をしている時に別のことに気を取られやすい」

「おしゃべりを始めると止まらない」

「衝動買いしてしまう」

「衝動的に人を傷つけるような発言をしてしまう」

「課題でケアレスミスがよくみられる」

「仕事を最後まで終えることが難しい」

「約束の時間にいつも間に合わない」

「約束を忘れてしまう」

 

など。

 

ここまで見ると、

「あれ、これ私結構当てはまる…自分もADHD…?」と思う方もいるかも。

 

 

そう。実はADHDの特徴は、誰にでも当てはまる。

 

 

発達障害の特性は、多かれ少なかれ、誰もが持っている」

 

 

ただ、実際診断がくだるのは、

これらの症状があり、その程度が年齢(発達の水準)に不相応で、頭ではわかっているのに同じミスを繰り返したり、後先考えずに行動したり、あれこれと動き回ったり、日常生活や学校、職場などで支障をきたしている、と判断された場合である。

 

 

私は大学時代に「ADHDかも?」と思いながらも診断を受けなかった。

それは、思っただけで、特に日常生活で困ったことがなかったからである。今思えば生きづらさはあったかもしれないが、みんなそんなもんやろ、って思ってたし、薬によって改善できることも知らなかった。

 

(って言っても、周りには迷惑かけてたかも…この場をお借りして謝ります。ごめんなさい🙇‍♀️)

 

特に困ることがなければ無理して受診する必要はないし、それに悩む必要もないと思う

 

心療内科/精神科/メンタルクリニック等、発達障害を診断してくれる医療機関は、数多くあるが、いずれも予約が取りづらい。

 

ADHD傾向のある人は予約を取るのが本当に苦手。

実際私も、受診するまでの道のりがいばらすぎて、泣いた。それで辛い思いをするくらいなら、「これも個性」と割り切ってもいいと思う。

 

それに、今だから言えるけど、ADHDと診断を受けると、必要のないところまで「私はADHDだから」「自分は発達障害だから」と卑屈になってしまいやすくなる。

 

ADHDの特性は、時に生きづらさをもたらす「障害」でもあるが、時には人にはできないことをさせてくれる素晴らしい「個性」にもなり得る。

 

特に子供のうちは、親・家族、先生がうまく理解し、サポートできれば、ある程度の生きにくさというのも回避できると思う。また、学生の間も、「お前変わり者、でも面白いよな!」と言ってくれる最高の友人に出会えれば、何とか楽しく過ごせる。

 

だから。焦らず、自分を受け入れ、「自分は何が苦手か」「何をすると幸せと感じるか」を分析し、幸せに感じることを仕事にできるよう、準備することに焦点を当てた方が、「自分はADHDと診断されたから○○はできないだろう」と、可能性を狭めなくて済むかもしれない。

 

(※これについては、詳しくは次の記事の最後でまとめたよ♩

001 心療内科に行った理由① - はっぴーがいっぱいblog💟

 

っと、これはあくまでも私個人の意見。

私はそう思って26歳になるまで生きてきた。反対に、「受診した方がいい!」という人もいる。受診して安心したい、とか、やっぱり薬で改善したい、とか。そこはいろんな人の考えを見て結局は自分が判断するところかも。 

 

 

じゃあなぜ、心療内科を受診した…?

私は、この特性により、ついには、困ることができてしまった。他人に迷惑をかけたり、自分で自分をコントロールできなくなったりした。

 

特に社会人になって、仕事をする中で、お給料をもらい、責任が発生しているのに、ある分野では人と同じようにできない。それで、理解やサポートの得られる職場であればよかったが、そうでなく、散々に注意され、自分でも自分を責め続け、「死にたい」「もう働きたくない」と追い詰められるようになり、受診した。

 

 

ちなみに、ADHDの症状は大人になってから落ち着くケースもあれば、大人になって発症するケースもある。その場合は、「大人のADHD」となる。

 

この大人のADHDは、子供の頃に発覚するADHDと違い、仕事で接する以外はただの赤の他人に、そこまでの理解とサポートを得られるかが非常に難しい。

 

実際、大人になって初めて受診し、発覚する、というケースも多いそう。

 

 

このブログで伝えていきたいこと

 ・ADHDは悪いことではない。多くの人が不注意でミスをすることはあるし、たまには衝動買いをする。逆に、部屋が散らかっているからなど、簡単にADHDと決めつけるのも違うと思う。悲観しないで〜😣😣

 

・このブログは、不安を煽るものでもなく、不安になった方や同じような症状を持つ方に私の例をお話し、少しでも安心してもらったり、生きやすさを感じて欲しいのが目的の1つ。

 

ADHDや大人の発達障害を全然知らない人に知ってもらい、こういう人もいる、と頭の片隅で知っておいて欲しいのも目的の1つ。

 

・私はこの診断を受けて多少なりともショックを受けた。

と同時に、ADHDだからできない」ではなく「ADHDでもできる」ということを証明したい思って書き始めたのも目的の1つ。

 

ADHDがなんだ、発達障害なんて甘えだ、という批判もあると思う。

正直怖い。

甘えを正すだけで治るなら、私はすごくすごく努力する。というかしてきた。

しょうもないミスのせいで、自分の稼いだお金も損するし、不注意と多動のせいで、体も怪我しまくる。痛い。

人に迷惑かけちゃうけど、それ以上に自分にも迷惑かけてコントロールきかなくなる。

 

努力したけど、自分一人では治せきれなかった。

 

「わかってるんです…わかってるけどできないんです…」何度も悔しい思いをして言った言葉。

 

そういう意味では、ADHDは、障害である。 障壁であり、害でしかない。

 

だから心療内科に行ったし、今は薬を飲み、副作用で苦しい思いをしたのを経て、少しずつ改善できるようお医者さんにアドバイスをいただいている。

 

 

このブログは、できないアピールでもなければ、できないから許してください、とお願いするものではない。またそれを助長するものでもない。

 

心療内科に最初行くのは勇気がいることだし、家族に打ち明けるのも勇気がいると思う。

そんな人を応援したり、共感しあってちょっとでも気持ちが楽になってほしい。

 

だから、このブログは批判する人に向けたものではないことをわかってもらえると嬉しい。

 

なお、私の活動の最終目標はこちらに書いています🦄

👉私の最終目標 - はっぴーがいっぱいblog💟

 

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