【第1章】004 高校の先生になった!
それから、私は晴れて学校の先生になった。
大学卒業後の最初の2年間は、とある私立高校の特任講師で、授業と副担業務を担当。
勤務時間は基本は授業の時だけでいいので、3時間目から出勤したり、午前だけで帰ることもあったが、副担任も業務だったので、担任の先生が半日休暇の日は、朝一から行ったり最後まで残ったりもしていた。
あとは、授業以外に、担任のお仕事もちょこっとお手伝いして、行事ごとにも仕事が割り振られ、宿泊研修の引率や、実習先訪問の出張、毎週会議にも出席していた。
教員する中で、私は、数を数えたり、四則計算、時間を把握すること・慣れないスケジュール対応が苦手だと痛感した。
いや、昔から算数は苦手だったのだが、大人になっても改善しないので、もしかしたら、学習障害(LD)もあるかもしれない。(これは未診断)
※余談 「勉強が苦手だったけど先生になった!」という趣旨ですが、「偽善者先生」というYouTuberの方の動画で、「算数苦手だった話」を少しお話しさせていただいてます。
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教員をしていて、一番困ったのはテストの時で、まずいつもと違う時間割なので、スケジュールが変わり、出勤時間・行くクラスを間違えないかで、生徒以上に緊張していた。
そしてテスト準備段階では、何ページまでを何クラス分刷ったのかわからなくなり、何度も一から数えることがあって、ついには科目横並びの他の先生が配慮して、単純な作業しか任せないようにしてくれた。
そしてテストが終わると採点である。
苦手な足し算引き算掛け算に、丸が何個か数える作業である。
両手の指を駆使しまくったり、電卓を弾いても、必ずミスがあるので、三重チェックをして返却していた。
そして息つく間もなく成績処理だが、これも数字がつきまとう作業でミスが多かった。
(もちろん生徒に渡す前にちゃんと訂正する。一発ではうまくいかないなぁ、という話。)
それ以外にも、他の行事などイレギュラーな日は特に気を遣った。
10年以上乗りなれた阪急電車での通勤でさえ、普段の日から、なぜか線を乗り間違えてしまったり、降りる駅を間違えたりすることがしょっちゅうだったので、イレギュラーな日の前日はミスをしないか心配で、夜は眠れないことが多かった。そして超早起き…
(そうはしていても、反対方向の電車に乗ってしまうことがあった。
朝はミスすることを見越して、集合時間の30分前には着くよう出発することで対処。)
これだけでも、本当に周りの先生方に迷惑をかけてしまったと反省している。
だけど、最初の勤務校は、周りの先生が言わずともサポートをたくさんしてくれ、私のできることは120%任せてくれ、信頼してくれていたと思う。
サポートと理解があれば、「ADHD」だって、十分働けます。
また、好きなことには異常なまでに執着するのも「ADHD」の特性。
この特性のおかげで、勉強が好きな私は「好き=仕事」にできた。
2年目は、特進クラスの先生方に「勉強熱心な新卒」ということで目にとめていただいて、はじめて受験指導を担当させていただいた。
ただそれ以降は、専任・常勤という立場でない以上、必要最低限の受験指導ができなかったので退職し、もっと本格的に受験指導できる学校を求めて、3年目は別の学校へ移ることにした。
そして見つけたのが、海外の学校だった。
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