【第1章】002 心療内科に行った理由② (大学時代の話)
そうして、不安が増えすぎるので、自殺防止センターに電話するのではなく、心療内科に電話し、予約して、受診するに至った。
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そして、予約してから、落ち着いた時に、実は、私が些細なミスが多いのは「ADHD」のせいではないか、と思い当たった。
◆
振り返れば。
大学生の時に、初めて自分が「ADHDかも」と思ったことがあった。
きっかけは・・・
教職関係のワークショップで、
「特別支援が必要な生徒、ADHDの生徒はこんな特徴があります」
というチェックリストを配られた。
見てみたら、そのほとんどが自分に当てはまった。
-あれ、私は実は支援が必要だったのかな。
-そんな奴が先生を目指していいのかな。
そのチェックリストで自覚しかけ、心療内科で診てもらおうと思った。
ところが。
「あの…予約したいんですけど…。」緊張して電話した電話越しに、
「…しばらく予約でいっぱいです。」と返されると、もうそれ以上先には進めなかった。
勇気を出して電話した1回目はそんな感じで頓挫してしまったが、そこからいろいろ考え、調べていくうちに、大学生の間は、ミスが多いと言っても自分が困るだけで、むしろ、ADHDについて調べるといい点もたくさんあったので、これも一つの私の個性だと思えるようになった。
※いい点・・・私の場合は・・・
①衝動性 →その日の高まった感情で決心したことは、100パーセント実行できる。
ラーメン屋にお昼を食べに行ったら店員が元気なかった。せっかく美味しいのにもったいないと思ったその2週間後にはラーメン屋でアルバイトしていた。SNSでお客さんの間で評判なくらいには元気のいい接客ができた。
②多動性 →とにかくおしゃべり好きで、動き出したら止まらない。
所属していたオープンキャンパスの企画・実行を行う大学公認の学生サークルでは、毎回のオープンキャンパスで高校生の相談コーナーでひっきりなしに対応した。
大学に見学した高校生の団体への学生講演も何度もさせていただき、同期から信頼を得た。
他にも、
・好きなことは寝食を忘れて没頭できるので、趣味の書道は、10時間ぶっ通しで書き続けた作品が、賞をとった。
・大学の授業のうち、1年生の間は、興味のなかった基礎科目は単位を落としまくってどうしようもなかった。再履・再再履祭りで、周り(後輩含)からは「留年リーチ」と呼ばれていた。
が、実は、3年次以降の専門科目や院生向けの科目はめちゃくちゃ面白くて夢中で勉強した。4年春・秋学期も相変わらずフルコマだったが、テスト範囲となったレジュメは全て丸暗記し、テストは90点以上を連発した。
など、好きなものはとことん集中する「過集中」を発揮した。
(実際はいい成績を残すというというメリットだけでなく、その集中力に体が追いついていないので、翌日にはどっと疲れ体調を崩してしまいやすいっていうデメリットにもなっちゃうけど。)
そしてある時、私は、 周りの教職を目指している友達に「私、ADHDかもしれへん」と打ち明けてみた。
すると、「うん、でしょうね」と返ってきた。私は予想外な答えにめっちゃくちゃびっくりした。
ADHDは自分で気づくより、周りが「あれ?」と思って気づくパターンも少なくないらしい。
(診断がくだってから今も、「え?ADHDやったん?」と、驚かれたことはない。みんな納得してる🤔笑)
そしてその友人は、さらに続けた。
「まぁ、教員向いてないやろうなぁ。」 と。
今度は、めっちゃくちゃショックだった。
けどそのあとに、
「でも、それは君が頑張りすぎるからや。一人で抱え込もうとするし、いろんなものに手を出すし、やりだしたら止まらへんやろ?
教員は、全部やりすぎたらいっぱいいっぱいになってしんどくなる。続けられへんくなる。
でも、それが君のええところでもある。なんでもやったらいいと思うで。で、辛くなったら俺らがおるやん。大阪やろ?いつでも呼べばいい。」
と。
思い出補正入ってだいぶ美化しちゃったかもしれないけど、こんな優しい言葉をかけてくれた。
だから、この言葉を信じて、私はそれでも一層一念発起して教員目指そうと思った。
そして、同じように悩む子がいたら、すっごいいっぱい共感してやろう、と決めて教員を目指した。
前向きに捉えられたし、この頃は「ミスをして周りに迷惑をかける」より「ミスをして自分に迷惑がかかる」ことの方が多かったので、気にせず、大学生の間は、心療内科に行くことはなく、教育実習・就職活動を無事済ませ、大学を卒業した。
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